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2006年8月23日 (水)

垂仁天皇と殉死の禁止

 暫く本題から外れた投稿が続いたが、本来の日本書紀についての私見発表に戻りたい。

 今回は、垂仁天皇の時代に、高名な人の逝去に際して、その喪のため生きた人が殉死する風習を止めさせたことが述べられいる。 具体的には、天皇の弟の倭彦命が亡くなった時、大勢の人が殉死したが、死に切れずに苦しんだり、亡くなった人の死骸を犬や烏が集まり食い荒らす様子を見て、今後この風習は禁ずることとした。

 その数年後、天皇の皇后日葉酢媛命が亡くなった時、この度の葬(もがり)は如何にすべきか考えた、この時野見宿禰が出雲より土部を呼び、人や馬の埴輪を造り、これを献上し、生き人に代え陵墓に立てては如何と提案した。天皇は大いに喜び、それを実行し、今より後陵墓に必ずこの埴輪を立てることとした。

 私はこれが事実だとすれば、ある年代から副葬品として、人型や動物型の埴輪が葬られている陵墓や古墳が次から次と発見されていて、そこから垂仁天皇の年代も推測出来るかなと思い、埴輪のことを少し調べてみた。埴輪そのものの発祥は古く弥生時代に遡るが、円筒型であった、人型や動物型はやや遅れて造られた様である、又生産地は吉備が主とされている。 副葬品として古い古墳から発見された記録は見つからず、考古学の世界では日本書紀の記述は根拠の無いものとして扱われている、記紀の学者も、このことについては深く追うこともしていない様だ。

 今後遺跡の発掘が進み、書紀の記述の裏付けとなるものが発見され、またその年代がある程度明確になることを希望する。

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