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2006年8月14日 (月)

再び靖国神社について

 靖国神社の在り方について話題となることが多くなった、私が先に述べた「靖国神社について」と同様な、非宗教化とし国営の追悼施設とする意見も強力となったことは喜ばしいことである。

 最近色々な情報が報道され、私の知らなかったことを述べたい。 その一つは、靖国神社は一宗教法人で、伊勢神宮や明治神宮の様な神道の神社でないことを知った、従って靖国神社の意向で何でも出来、しかも政教分離で他からの干渉は出来ないのである。 然し鳥居に始まり、拝殿の形式、菊のご紋章等すべて神道の神社と同じであり、殆どの国民は神道の神社の一つと思っているのではなからうか。 今一つは、何でも出来る事として新しい霊を合祀するとき、その遺族に相談することなく、勿論了承も得ることなく、しかもその名簿は厚生省と言う国の機関が作成し、合祀している、一旦合祀したものは分祀が出来ないのが教義だそうだ、従って遺族からの分祀には一切応じていなく、問題も起こしている、この様な一方的な考えが通用している様だ。 

 神社と呼ぶからには、神を祀っているのであって、単に霊を祀るものではない、霊の中で神として崇められ。参拝者の精神向上に結びつくものが祀られていなければならないと思う。 

 以上総合して、頭書の考え通り、非宗教化し、国営の追悼施設となることを願うものである。

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コメント

yusakuさん
コメントありがとうございます。

日本書記、難しいですね。
あやふやな記述だから、面白いのかもしれませんね。読む人それぞれの日本書紀があっていいとかって、講師が言われました。知識が増えれば増えるほど奥が深いんでしょうね。
yusakuさんのサイト、勉強になります。
これからも、よろしく!

yusakuさん、コメントありがとうございました。

大化の改新の「乙巳の変」で焼失した蘇我氏が編さんした「国記」「天皇記」には何が書いてあったのか?

その後、政権を握った天智天皇と藤原氏が、闇から闇へ葬ったからには、きっと「日本書紀」とは違う歴史が書かれていたのだろう・・・と推理しますね。

「古事記」「日本書紀」にはどうしても消しきれなかった別の政権の影がちらつき、それらを引っ張り出す事が、歴史の醍醐味ではないか?と思います。

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