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2008年12月 4日 (木)

古代日本史を画く 聖徳太子について

 紀元592年 推古天皇が即位し、時代は飛鳥時代となり、倭国は国家として華々しくデビューする。これ以降は歴史書も確定されていて、私見を述べても意味がない、従って私の「古代日本史を画く」も以上で終了することとします。

 最後にこの時代国政を任された聖徳太子について私見を述べることとする。

 聖徳太子の称号は、勿論後世の人が数々の成果、特に仏教の普及に貢献したことで贈られた名前であるが、そのモデルとして推古天皇の甥の厩戸皇子とされている、そして官位十二階・憲法十七条の制定や、遣隋使の派遣、四天王寺や斑鳩の宮の建立等の業績を成し遂げている。

 私の説は、これらの業績は一人の人の業績ではなく、複数の人々の成した事を、聖徳太子という称号のもとに集約したと考える、そしてこの人々の大部分は渡来人で、渡来人の賢者が考えたものを、天皇や大臣の蘇我馬子か認めたものである。因みに憲法十七条は、国家制度での憲法でなく、仏教普及のため仏教の良さ尊さを説いたものである。

 こう考えれば、十人の訴えを一度に聞き、適正に判断したことも、十人の賢者がいて処理するなら容易な事である。

 では厩戸皇子は何をしたのだらうか、それは山背皇子を生んだ事、四天王寺の建立、そして斑鳩の地に宮を造り、後の時代法隆寺が建てられる基礎を作ったこと等であるが、これ等も立派な業績であったといえる。

 最近聖徳太子の存在について、議論される場もあるが、私の様な意見は余り耳にしないが、如何なものだらうか。

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