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2010年6月30日 (水)

日本の最初を求めて 当麻寺

 當麻寺は、その地元の豪族當麻家の氏寺として、飛鳥の白鳳時代に建立された古刹である。Simg_1091

 ご本尊は弥勒菩薩坐像で、これは粘土による塑像で、この手法で造られたものとしては日本で最初のものである。勿論国宝に指定されている。

 この像を中心にして、四天王立像が周囲を固めているが、これは乾漆像であるが法隆寺の金堂の四天王に次いで古いものとされている、これ等は重文である。

 これらの像が収められている本堂には、日本最大の最古の厨子があり、4メートル角の大きな當麻曼荼羅が飾られている。 これの原本は藤原家の郎女中将姫によって蓮糸で織り上げられたと伝えられている。

 この寺は他に金堂や講堂、さらに三重の塔として東塔と西塔がある、創建当時の東西両塔が揃って残っているのはこの寺のみである。

 このほか東大門の近くの鐘楼の梵鐘も日本最古とされている。

 以上述べた様に、當麻寺は広い敷地の中に多くの日本で初めてのものを抱える、見応えのある名刹である。

2010年6月24日 (木)

日本の最初を求めて 当麻 相撲の初め

 当麻の地(現在は奈良県葛城市當麻)はかっては当麻氏が支配していた土地である。 

  垂仁天皇の時代、当主であった当摩蹶速(タギマノクエハヤ)は力が強く誰にも負けないと豪語していた、時の帝はこれを打ち負かすものはいないだらうかと臣に問うた、この時臣の一人が出雲の国に野見宿禰という勇士がいるのでこれと争わせば如何なものかと申し出た、早速野見宿禰が呼び寄せられ、力比べをしたがクエハヤは脇骨を折られ殺されてしまう。 「日本書紀」にはこの様に書かれ、これが相撲の始まりとしている。

 一方「古事記」では、天孫降臨に先立って出雲の国譲りで、高天が原より降った建御雷之男神(タケミカヅチノヲノカミ)が、大国主命の子建御名方神(タケミナカタノカミ)と争い、これに敗れた建御名方神は諏訪の地に逃れ、国譲りが成功した、これが相撲の始まりとしている。

 一見古事記の方が古い様であるが、真実性については日本書紀に軍配が挙げられると思う。

 又何れの話も地元の住人が敗れる事となっているが、高天が原を当時の先進性のあった韓国や中国と考え、建御雷之男神はモンゴル辺りからの渡来人であつたと考えれば、又野見宿禰もモンゴルから出雲に渡った渡来人の末裔と考えれば、現在の相撲界の実情と合致し面白いことである。

2010年6月18日 (金)

日本最初を求めて

 平城遷都1300年の記念行事の一つとして催された、石上神宮の国宝「七支刀」の特別拝観を申し込み、併せて飛鳥・天理・桜井等を観光することとした。幸い拝観が許可されたので6月7日より9日にかけて実施した。

 さすが、日本の歴史の始まりの土地柄、至る所で「日本で最初の・・・」だとか「日本最古の・・・」 土地だとか物に接することが出来、感銘を受けるとともに新たな記憶を得たことは幸いであった。

 幾つかその例を挙げると。

  當麻     相撲発祥の地、当麻寺がある。

 竹内街道   日本最初の国道  重厚な家並みが残されている。

 高松塚古墳  キトラ古墳と共に特徴ある古墳

 石舞台     石を組み合わせた石室型の墳墓

 甘樫丘     蘇我氏が住んでいた最初の別荘地

 石上神宮    日本で最初に造られた神社

 七支刀     歴史的な裏付けを持つ最古の遺品

 山辺の道    日本で作られた最初の道路

  三輪      素麺が最初に作られた土地

 箸墓古墳    巨大古墳として最古の古墳

 飛鳥の地では最初の佛寺として飛鳥寺が有名あるが、かって訪れたので今回は都合により省略した。

 其れ々の地や物について、これから逐次述べてゆきたい。 

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