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2011年6月 9日 (木)

寺社随想 京都 清閑寺

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 京都 東山 清水寺の南に清閑寺という山寺がある。観光とは余り縁が無く訪れる人も少ないが、創建は平安時代の802年と古く、かっては清水寺と並ぶ大きな寺であった様だが、現在は小さな本堂と鐘撞堂のみのであるが歴史的には興味深い寺である。

 平家物語に「小督局」(こごうのつぼね)の話がある。 小督は公卿の桜町中納言藤原成範の娘で、美人で琴の名手でもあった、若くして宮中に仕え小督局と呼ばれていた、特に時の天皇高倉帝には覚え目出度くご寵愛を受けていた、然しこの事が天皇の中宮建礼門院徳子の激しい妬みを受け、ことごとに辛く当たられたので密かに御所を抜け出し嵯峨野の嵐山の地に隠れ住んだ。天皇は深く悲しみ近臣源仲国に探す様に命じ、仲国琴の音を頼り無事探し当てることが出来た。ここ迄は良く知られている話であるが、この後が清閑寺に繋がって行く。その後小督は範子内親王を出産するが、徳子の父平清盛の怒りは収まらず、清閑寺にて泣き縋る小督の黒髪を落とし出家させたのである。

 高倉天皇は哀れと思いながら何もすることができなかった、そして21才で若くして亡くなったが自分の墓は清閑寺に造る様遺言し、現在その御陵は寺の隣接地に造られている。 小督は御陵の近くに庵を建て41才て没する迄尼として天皇の菩提を弔ったと伝えられている。                                                             

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